大切にするのは自分なのか?他者なのか?:問われる価値観

 

 

 

こんにちは、ヒロです。

 

 

ここのところ、
過ごしやすい気候が続いていますね。

 

 

先日、公園まで動画の撮影に行ってきました。

 

 

八重桜がまだ残っているかなと
期待していたのですが、
さすがにもう散ってしまっていました。

 

 

でも、それでもこの公園はやっぱり心地がいい。

 

 

ポカポカとした陽気と、爽やかな風。

 

 

木々がさわさわと揺れる音に包まれて、

 

 

まるで自分が世界に溶けていくような…

 

 

そんな感覚を味わいました。

 

 

 

 

さて、今日は

「大切にするのは自分なのか?
 それとも他者なのか?」

というテーマでお話ししてみたいと思います。

 

 

今の時代、「自分を大切にしよう」
というメッセージが溢れています。

 

 

対人支援などの現場でも、
まず最初に言われるのは
「自分を大切にしましょう」です。

 

 

もちろん、それ自体は間違っていません。

 

 

でも僕自身、この言葉を聞くたびに、
どこかにうっすらとした違和感を感じるんです。

 

 

違和感というよりは、
その言葉の奥に漂っている“虚しさ”のようなもの。

 

 

言葉は正しいのに、
なぜか胸にストンと落ちてこない。

 

 

 

「自分を大切にする」って、
そもそもどういうことなんでしょう?

 

 

実はその言葉には、
「今の自分は大切にできていない」
という前提があります。

 

 

そして、もしどの自分を、どう大切にして
いいかも分からないとしたら……。

 

 

ただ目の前の欲を満たすだけの
存在になってしまうかもしれません。

 

 

 

では、私たちは
自分のことをないがしろにして、
他者を大切にしてきたのか?

 

 

と問われると、
そうとも言い切れない気がします。

 

 

むしろ、どちらも
本当の意味で「大切にする」ことが

難しくなっているのかもしれません。

 

 

最近では、「自分を大切にすること」と
「他者を大切にすること」は別々のことではなく、
実は同じことなんじゃないか……。

 

 

そんなふうに感じることが増えました。

 

 

 

つまりこれは、
「自分か、他者か」という選択の問題ではなく、
もっと本質的に“大切にするべき何か”を見失っている状態
なのではないかと思うんです。

 

 

それは今の日本、いや、世界全体に
共通する空気なのかもしれません。

 

 

たとえば、最近話題になった
フジテレビでの発言をめぐる炎上騒動。

 

 

長野智子さんが批判されました。

 

 

彼女の発言も一理あるし、
決して間違っているとは思いません。

 

 

でもその背景には、
やはり「自分を守りたい」という無意識が
にじんでいたように見えました。

 

 

結果的に彼女は、被害者への配慮が足りず、
過去の仲間も大切にしていないように
受け取られてしまった。

 

 

これは彼女個人を責めたいわけではありません。

 

 

むしろ、僕自身を含めて現代に生きる
私たち全員が抱えている“病”のような
ものなのかもしれません。

 

 

 

私たちは皆、幸せになりたいと願っています。

 

 

もちろん、個人の幸せはとても大切です。

 

 

でも、その個人の幸せを支えているのは、
私たちを取り巻く世界との関係です。

 

 

私たちはお互いに支え合いながら、
生きている。

 

 

だからこそ、自分だけではなく、
「自分を含めた世界」全体を大切にする視点が
必要なのではないでしょうか。

 

 

 

このテーマについては、
YouTubeの『オヤジ談義』でも語っています。

 

 

今回の出来事は、現代に生きる私たちにとって、
「どう生きるべきか?」を考えるきっかけになる
話でもあるんです。

 

 

ぜひチェックしてみてくださいね。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『長野智子さんが批判された無意識の理由』
(10分35秒)
 ⇣ ⇣ ⇣

https://youtu.be/xS2obGX0GGU
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