「映画『国宝』が問いかける幸せの矜持」 日本人の中にまだ残っていたもの
こんにちは、ヒロです。
少し前に、
映画『国宝』を観てきました。
最初はあまり興味がなかったんです。
映画館で予告編を観たときも、
ふーん…という感じで。
でも、周りの評判があまりに良かったので、
ちょっと気になって足を運んでみました。
結論から言うと……。
素晴らしかったです。
舞台は日本の伝統芸能の歌舞伎ですが、
内容はいわゆる「歌舞伎の映画」
ではありません。
むしろ、ひとりの男が不器用に、
そして残酷なほどまっすぐに生き抜いた
その物語に心動かされました。
幸せとは何か?
人生をどう生きるか?
そんな問いに、静かに力強く
向き合わせてくれる作品でした。
友人にその話をしたところ、
「娘と一緒に観に行ってきたよ」
と教えてくれました。
娘さんはいわゆるアイドルの
推し活をするような娘で、正直こういう作品を
どう受け取るかちょっと心配だったそうです。
ところが終わった後、
「すごく良かった」と言っていたと。
「娘の成長を感じた」と
友人はしみじみ語っていました。
正直言うと、こういう映画が今の日本で
これほどヒットすることに少し驚いたんです。
同時に希望も感じました。
というのも、この映画はいわゆる
“娯楽性の高い作品”ではありません。
登場人物たちは
徹底して辛い経験を重ねていきます。
今の日本の観客には重すぎる内容は
受け入れがたいと、どこかで思っていました。
でも、実際には多くの人が
この映画を観て心を動かされている。
これは良い兆しだと思っています。
昨今は享楽主義・快楽主義が
当たり前のように広がっていました。
「ラクに生きよう」
「好きなことだけやろう」……
それ自体を否定はしませんよ。
でも、それだけでは
人は深く幸せになることはない。
ある意味絶望感から逃走。
本当の幸せは
人生の痛みと出会ったときにこそ
その奥に見えてくるもの。
そう確信しています。
もちろんわざわざ不幸な道を
選ぶ必要はありません。
けれどどれだけ真面目に
まっすぐに、懸命に生きても
人生は思い通りにはいかないものです。
自己啓発の世界では
「人生は思い通りになる」とよく言われますが
僕はそうは思いません。
むしろ大切なのは、
思い通りにならない現実の中でも
絶望仕切ることなく、一筋の光を
見出していくこと。
たとえ手が届くか分からなくても
その光へ向かって歩いていくこと。
その生き方そのものが
「希望」なのではないかと僕は思うのです。
「あり方が大切」とよく言われますが
それはその人の“生き様”にほかなりません。
生き様がない人の語る「あり方」は
どこか空虚な響きをおびています。
映画『国宝』のヒットは
日本人にはまだ希望があることの証。
そして、本来の生き方に気づいた人が
たくさんいるのだ……。
と信じたいと思います。
あなたはどんな生き方を
していきたいですか?
静かに続く余韻とともに
そんなことを考えさせられる映画でした。
それでは、また。