再現できないからこそ、人は美しい:映画『マイケル』を観て感じたこと

 

 

 

こんにちはヒロです。

 

 

昨日、映画『マイケル』を観てきました。

 

 

言うまでもなく、
マイケル・ジャクソンの人生を描いた
伝記映画です。

 

 

音楽家の伝記映画といえば
『ボヘミアン・ラプソディ』が有名ですが
この『マイケル』はその興行記録を
塗り替えたそうです。

 

 

また、批評家の評価は厳しい一方で
一般の観客からは高い支持を集めている
という点も興味を引かれました。

 

 

では、僕自身はどう感じたのか。

 

 

一言で言うと……。

 

 

 

 

とても気に入りました。

 

 

なぜかというと
この映画を通して改めて「人間らしさ」
というものを感じたからです。

 

 

伝記映画では、どうしても
「本人にどれだけ似ているか」が話題になります。

 

 

今回マイケルを演じたのは、
甥のジャファー・ジャクソン。

 

 

顔はそこまでそっくり
というわけではありませんが雰囲気はかなり良く
ダンスも相当努力したことが伝わってきました。

 

 

正直、ここまで再現できれば
十分だと思います。

 

 

それでも、やはりマイケル・ジャクソン
そのものではない。

 

 

これは当然のことなのかもしれません。

 

 

なぜなら、マイケル・ジャクソンは
あまりにも特別な存在だったからです。

 

 

あの独特な身体の使い方や
立ち居振る舞いを再現することは
並大抵のことではありません。

 

 

ジャファーは本当によく頑張ったと思います。

 

 

しかし、その努力を認めながらも
「やっぱり違う」と感じてしまう自分がいました。

 

 

実はこれは『マイケル』
に限った話ではありません。

 

 

『ボヘミアン・ラプソディ』を観たときも
同じことを感じました。

 

 

多くの人が
「フレディ・マーキュリーが生き返ったみたいだ」
と絶賛していましたが、僕にはそうは
見えませんでした。

 

 

レミ・マレックは素晴らしい俳優です。

 

 

以前から好きな俳優だったので
応援したい気持ちもありました。

 

 

それでも、本物が持っている何かには
届いていないように感じたのです。

 

 

では、その違いは何なのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回改めて考えてみて
一つの答えにたどり着きました。

 

 

それは「動きの理由」です。

 

 

映画の中では、確かに動きはよく
再現されていました。

 

 

しかし、どこか「真似るための動き」
に見えてしまう。

 

 

一方で、本物のマイケルや
フレディの動きは違います。

 

 

彼らはそう動こうとしていたのではなく
そう動かざるを得なかったように見えるんです。

 

 

 

言葉にならない何か。

 

 

心の奥底から湧き上がってくる衝動。

 

 

表現せずにはいられない情動。

 

 

そうしたものが、あの身体の動きとなって
現れていたのではないでしょうか。

 

 

 

映画の中でジャファーが懸命に
肩甲骨を動かしている姿を見ながら
僕はそんなことを感じていました。

 

 

意識して動かしているのと
「動いてしまう」のとでは違う。

 

 

その差はとても大きいように思います。

 

 

 

昨年話題になった『国宝』を観たときも
僕は似た感覚を覚えました。

 

 

役者さんたちが本気で取り組んでいたことは
十分伝わってきます。

 

 

それでも、技術や努力だけでは
届かない領域がある。

 

 

そこには、その人だけが持っている
何かが存在しているように感じるのです。

 

 

 

ここまで書くと、映画を批判しているように
聞こえるかもしれません。

 

 

でも、そうではありません。

 

 

むしろ逆です。

 

 

僕は、この「決して再現できない何か」こそが
その人をその人たらしめている
個性だと思っています。

 

 

誰にも真似できない。

 

 

誰にも奪えない。

 

 

その人だけに宿るもの。

 

 

『マイケル』を観ていて
再現しきれていなかったからこそ
その存在の固有性が見えた気がしました。

 

 

そしてもう一つ感じたのは
血のつながりの強さです。

 

 

完全には似ていなくても
どこか説得力がある。

 

 

 

偉大な叔父の姿に少しでも近づこうとする
ジャファーの姿に、思わず心の中で
「頑張れ」と応援してしまいました。

 

 

『マイケル』を観ながら、僕はずっと
「再現できないもの」のことを考えていました。

 

 

技術は真似できる。

 

 

動きも真似できる。

 

 

けれど、その人の奥から湧き上がってくる
何かまでは真似できない。

 

 

だから人は面白いのかもしれません。

 

 

だから人は愛おしいのかもしれません。

 

 

誰かになれないことは欠点ではなく
その人がその人である証なのだと思います。

 

 

そんなことを感じながら映画館を後にしました。

 

 

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