「和をもって尊しとなす」のほんとうの意味を考える。現代に歪められた古の価値

 

 

 

こんにちはヒロです。

 

 

突然ですが、時は1980年代。

 

 

当時の日本ではプロ野球が
超人気スポーツでありながら、
今のようにメジャーで活躍するような
選手はいませんでした。

 

 

逆にメジャーで
活躍できなくなった選手をバブルマネーで
日本に連れてきていました。

 

 

日本人選手より
遥かに高額な報酬を受け取りながら、
本国へ帰ると日本の悪口を言う
選手なんてのもいたんですね。

 

 

そして、アメリカでは
「野球とベースボールは違う」的な
本が出版され日本でも話題に。

 

 

その中で日本の選手は我慢を強いられ
必要以上のプレッシャーに
さらされて不幸だ。

 

 

その背景には「和をもって尊しとなす」
という精神がある。

 

 

というようなことが書かれていました。

 

 

個人主義が強い僕は、
日本って生きにくいなぁと思うと同時に
なんだか恥ずかしくもありました。

 

 

しかし、今の視点で振り返ると、
これは全くの見当違いだとわかります。

 

 

プロ野球界の実態はわかりませんが、
少なくとも「和をもって尊しとなす」を
悪者にするのは間違いです。

 

 

そもそも我欲が強すぎるゆえに
理性が発達した西洋人に、

「和をもって尊しとなす」は
根本的に理解不能でしょう。

 

 

そして、
残念ながら西洋文明に洗脳された
わたし達、現代日本人も間違った
使い方をしてしまいがちです。

 

 

その間違った使い方とは…

 

 

 

 

 

 

 

 

「和の押しつけ」です。

 

 

和を乱すな!という
一方的な意見の押し付け。

 

 

現代的な言い回しにすると、
「空気読めよ!」という無言の圧力です。

 

 

まぁ、これはいたるところで
見られますよね。

 

 

職場でも友達の集まりでも……。

 

 

しかし、「和をもって尊しとなす」の
本当の意味は別のはずです。

 

 

本来であれば、
皆が違う意見を持っているのは
当たり前のこと。

 

 

その中で一致できるところを探して、
皆が納得できる点を探る。

 

 

少数派の意見もないがしろにせず、
とことん話し合い同意を取るのが
尊い行いだといっているんです。

 

 

少なくとも僕にはそう思えます。

 

 

日本にも個人主義が浸透して、
本来尊かったものの言葉だけが残り、
精神がすり替えられ続けている。

 

 

こんな時代だからこそ、
古来の知恵に立ち返るとき
ではないかと思っています。

 

 

今月のオヤジ談義では
「和をもって尊しとなす」を切り口に
同調圧力についても話しています。

 

 

まだご覧になっていない方は
ぜひ御覧ください。

 

 

ではまた。

 

 

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『日本で同調圧力が強い原因
 第36回大人になれないオヤジの
 シンリ探求談義』
(9分19秒)

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https://youtu.be/FVxkUOsRbOE
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