すべての苦悩から解放されるには?

 

 

 

こんにちはヒロです。

 

 

昨日はCP+に参加してきました。

 

 

CP+とはCamera & Photo Imaging Show
のことです。

 

 

カメラと写真映像の見本市ですかね。

 

 

年に一度の世界最大級(たぶん)のお祭!

 

 

人混み&お祭りが苦手な僕も
テンション高めで行ってきました。

 

 

一緒に回ってくれたのは
FUJIFILM使いのふじおカメラマン。

 

 

多分、今日も行きます(笑)

 

 

 

 

あなたは梵我一如(ぼんがいちにょ)
という言葉を知っていますか?

 

 

これまた古代インド哲学で
有名な理論です。

 

 

梵我一如にいたった人間は、

「全ての苦悩から解放され、
 究極の心理に到達できる」

というものです。

 

 

梵(ぼん)とは世界を
成り立たせている原理のこと。

 

 

我(が)とはアートマンのことで
個人を成り立たせている原理。

 

 

一如(いちにょ)とは同一である
ということ。

 

 

つまり

世界と私は同一の原理で成り立っている

と知ると、

全ての悩みから解放される
ということです。

 

 

前回の記事で「私」という存在は
思っている以上に奥深く神秘的なものだ
とお伝えしました。

 

 

今回はもう少し深掘りしてみます。

 

 

少し難しい話になりますね。

 

 

私という存在は肩書きでもなく
性格でもなく肉体でもないと
お伝えしました。

 

 

実は脳ですら私たちの本質では
ないのです。

 

 

SF映画では脳を移植したり
記憶を移植して生き返るみたいな
話があります。

 

 

話としても面白いですが、
「私の本質」は抜け落ちています。

 

 

脳や記憶を移植しても
「私」はそこにはいないのです。

 

 

では一体何が私なのか?

 

 

それは「認識するもの」です。

 

 

私たちは何かを認識することで
物事を理解しています。

 

 

その認識している存在が
私たちの本質と言えます。

 

 

そして認識するものは
認識することができないんです。

 

 

どういうことかというと、
カメラはそのカメラ自体を撮ることは
できないのと似ています。

 

 

カメラを撮影しようと思ったら
もう1台別のカメラを用意する
必要があります。

 

 

ミラーレスカメラを初めて買った時、
開封する様子を動画に収めようと
考えました。

 

 

しかしその様子を撮影するカメラは
まだ箱の中にあります。

 

 

そこで初めて撮影するための
カメラがないことに気づきました。

 

 

実際にはiPhoneで撮影したんですけどね(笑)

 

 

結局カメラを

撮影しようとするともう1台必要で、

 

 

その様子を撮影しようとすると
さらもう一台必要、

 

 

さらにその様子を撮影しようと思うと……。

 

 

というように無限に続いてしまう。

 

 

これが「私」にも当てはまるんです。

 

 

だから自分のことは見れないし、
わからないんですね。

 

 

自分は他者を認識する存在だから、
自分のことは認識できない。

 

 

しかし、それを認識したことで
自分のことを少しだけ認識できる。

 

 

ややこしいですね。

 

 

そして、
「私の認識」の最終到達地点は
世界と同一になります。

 

 

これが無意識に落ちた時、
全ての悩みは世界と溶けあい
消え去る。

 

 

さぁ、悩みのない世界へ
行こうではありませんか!

 

 

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