【本日終了】全肯定と宇宙を覆う一大疑問符

 

 

 

こんにちはヒロです。

 

 

近くの神社に河津桜が
咲いていることを思い出し
見に行ってきました。

 

 

もう葉桜になり始めていて、
満開は過ぎてしまったかも
知れません。

 

 

そういえば、
花粉がもう飛んでいるようですね。

 

 

くしゃみがやたらと出る日が
ありました。

 

 

僕は高校生の頃から
重度の花粉症になりましたが、
今は一日だけくしゃみしたら
終わるようになりました。

 

 

あることがキッカケで
ほとんど出なくなったんですよね。

 

 

今度花粉症対策の
ワークショップでもやろうかな。

 

 

 

 

あなたは悩みがある時に
「問い」を立てますか?

 

 

ご自分で気づいていない場合でも
無意識に何かしらの「問い」を
立てているはずです。

 

 

例えば

 

 

どうして私ばかり損するんだろう?

 

 

どうしたら
もっと幸せになれるのかな?

 

 

これを解決するのに
もっといい方法はないだろうか?

 

 

というようなもの。

 

 

人生の質は質問の質で決まる
という意見もあります。

 

 

そして、
この「問い」そのものが
あなたに悩みをもたらしても
いるのです。

 

 

私たちがもし「問い」そのものを
持たなかったとしたら、
何かに悩むことがあるでしょうか?

 

 

答えはNOです。

 

 

私たちが
「問い」を立てなくなった時、
全ての悩みから解放されます。

 

 

問い(疑問)が発せられる時、
分離が起こります。

 

 

自分と対象の分離。

 

 

問うた瞬間、問いそのものから
自分が離れて行ってしまう。

 

 

これが悩みをさらに深くし
解決を阻む。

 

 

これを力技で解決しようと
してきたのが西洋思想。

 

 

だから分解して分解して
分解し続ける。

 

 

で結局、
本質から離れていってしまう。

 

 

ではどうするのか?

 

 

それは
問いと一つになるということ。

 

 

自分と問いが一つになった時、
問いが自らを解く。

 

 

対象が本来の状態に還る時
初めて解決が可能となる。

 

 

問いとは一種の否定である。

 

 

自分と問いが一つになった時、
そこには全肯定しか残らない。

 

 

問いを発し、また一つになる。

 

 

釈迦が至った悟りの境地はこれ。

 

 

そして、全ての分離を超えた時、
そこにはただ一つの未分の
「不知なるもの」があるのみ
となった。

 

 

そしてこの「不知なるもの」の中に、
釈迦は溶けていった。

 

 

そこにあるものはもはや

全宇宙を覆う一個の大いなる
疑問符のみであった。

 

 

ここに来て彼は
全てを知っていることを知った。

 

 

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