悦びの本質は興奮にあらず
こんにちはヒロです。
先週末は哲学講座、
週明けすぐにはブレインマネジメント講座
と連続での講座でした。
哲学は
自分の外側の世界をひたすら考え、
ブレインマネジメントは反対に
自分の内側を徹底的に探っていきます。
面白いのは外側の世界を考えているのに、
思わず自分の内面が出てしまうこと。
一方で、自分の内面を見ようとすると
表面的な外側ばかりを見てしまう。
人の世界は表と裏、外側と内側という
常に相対する2つの世界で出来ていると
実感します。
無意識が2つの世界を掴み始めると、
不思議とあまり落ち込まなくなったり、
これまで気に障っていたことを
流せるようになっていきます。
受講生さんが
そのように世界を掴んで成長されていく姿を
見るのは僕にとって大きな喜びです。
さて、今日は「悦び」についてのお話です。
あなたは友人とワイワイ騒いで
楽しい時間を過ごした後、一人になった時に
急に寂しくなったことはありませんか?
テンションが上がっていい感じがした後に、
孤独感や虚しさから落ち込んでしまうのは
なぜでしょう?
これは悦びの持ち方に問題があります。
ここで少し、
先週末にあった出来後のお話です。
少し愚痴りますので、
しばらくお付き合いください。
週末の土曜日、
地元出身アーティストのイベントが
海岸でありました。
僕はその事を知りませんでしたが、
家が揺れるほどの爆音と衝撃波で
気づきました。
イベント会場からは
2キロ弱離れているのですが、
海岸で流されている音楽と
それに合わせて打ち上げられる花火の音が
響いてきます。
これ文字で書くと伝わりにくいのですが、
普通の花火とぜんぜん違うんです。
もう家全体が振動して怖いくらいなんですよ。
実際、1時間位この騒音と振動の中にいたら、
気分が悪くなりました。
後で調べてみると、
30キロほど離れたところでも聞こえていて、
地元民の事を心配してくれていました。
正直言って大迷惑でした!
あんな大音量で音楽流したり、
衝撃波とも言える破裂音を出したり
常軌を逸しています。
病人や年配の方の中には
体調を崩された方もいたのではないか
と心配になります。
まぁ、愚痴はこの辺にしておいて。
どうしてあんな常軌を逸した
イベントをやるのだろう?
と考えてみました。
理由は2つあります。
一つは自分の人生に退屈していて
他人の人生でしか興奮できない人が
一定数いることです。
自分の人生の空虚さを
なんとか埋めたいと思った時に手っ取り早いのは
誰かの人生に乗っかることです。
それがアーティストやアイドルなんかの
「過激なファン」になっていくわけですね。
もう一つの理由は「欲望の暴走」です。
人の欲望には限りがありません。
満たせば満たした分だけ、
もっと欲しくなります。
音が過剰に大きくなるのも、
強い刺激に慣れた人たちを満足させるためです。
並みの刺激では満足できない、
刺激中毒の人たちは結構いるのかも
しれませんね。
これら2つの要素は満たすのが簡単なので、
一般の人でも無意識に選択して
しまいがちです。
しかし、
自分の人生を生きていない
という根本的な問題をどこかで感じてもいます。
だから、2つの要素で自分を興奮させて、
一時の幸福感を得ても、その時が過ぎれば
本質的な虚しさが到来するのです。
それだけでなく、
この2つは互いを補完して強化し合うループにも
なりやすい性質もあるので要注意です。
本当の幸せ、悦びとは
静かで当たり前の感覚の中にあります。
興奮とは正反対
と言っても良いかもしれません。
興奮すること自体に問題ありませんが、
虚しさを誤魔化したり避けるために
興奮を選ぶのはやめましょう。
興奮だけで満たすのは
動物と同じになってしまいます。
わたし達はそうではありませんよね。
自分の中にある
純度の高い思いをまっすぐに表現すれば、
他人の人生や強い刺激の力を借りずとも、
穏やかな湖面のような悦びを感じられます。
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